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大阪地方裁判所 昭和61年(行ク)15号 決定

大阪市住之江区粉浜西二丁目一の八

申立人

豊田勇

右訴訟代理人弁護士

鈴木康隆

坂田宗彦

大阪市住吉区上住吉町一八一番地

相手方

住吉税務署長

中川光男

右指定代理人

岡本誠二

北村勉

石井出澄

高見忠男

中村嘉造

主文

本件申立を却下する。

理由

第一  申立人の文書提出の申立の趣旨及びその理由は別紙(一)及び(二)記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は別紙(三)記載のとおりである(但し、「原告」とあるのを「申立人」と、「被告」とあるのを「相手方」と改める。)

第二当裁判所の判断

一  本件記録によれば、本件訴訟は、相手方が申立人の昭和五三年分ないし昭和五五年分の所得税について更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分をするに際し、鉄工業を営む申立人の右各年分の所得金額を実額で把握できないとして、申立人の納入先である近畿車輛株式会社を納入先とする同業者のうち、泉大津、葛城、東大阪の各税務署管内において青色申告をしている三名を抽出し、大阪国税局長からの一般通達により右三税務署から送付された同業者調査表により右三名の同業者の平均所得率を求め、これに基づき申立人の所得金額を算出したという事案であること、また、前記同業者調査表は、管轄税務署において前記三名の同業者の青色申告決算書又は法人税確定申告書から売上金額、売上原価・一般経費(仕入金額、給料賃金、外注費、その他)を摘出して記載したものであることが認められる。そして、申立人が本件申立において提出を求める文書(以下「本件文書」という。)は、前記申立にかかる文書の表示からすると、前記同業者調査表を作成するのに用いられた前記同業者三名の昭和五四年分の青色申告決算書及び法人税確定申告書であると解される。

二  申立人は、本件文書が民事訴訟法三一二条一号に該当する旨主張するので、まず、相手方が本件文書を自ら所持するものであるか否かにつき判断する。

行政庁を被告とする訴訟において、行政官署に存する文書の提出命令が申立てられた場合、文書の所持者とは、当該文書の保管の責に任じ、その閲覧の許否を決定する権限を有する行政庁をいうものと解するのが相当である。

これを本件についてみれば、前記同業者三名の青色申告決算書等は、いずれも本件訴訟において当事者となつていない泉大津、葛城、東大阪の各税務署長が保管の責に任じ、かつ、その閲覧の許否を決定する権限を有する文書であると考えられるのであり、相手方がこれら文書あるいはその写を保管し、その閲覧の許否を決定する権限を有していると認めるに足りる資料はない。また、相手方が他管内の税務署長に対し、前記青色申告決算書等の引渡を求めることができると解すべき何らの根拠もない。

したがつて、相手方は、本件文書の所持者に該当しないといわざるをえないから、本件文書は、申立人のその余の主張について判断するまでもなく、民事訴訟法三一二条一号に該当しないものというべきである。

三  よつて、申立人の本件申立は理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山本矩夫 裁判官 高橋正 裁判官 植屋伸一)

一、文書の表示

被告が本訴において推計の根拠とする同業者A・B・Cの昭和五四年度の青色申告の決算書および法人の決算書(法人の場合は昭和五三年七月一日から同五四年六月三〇日までの分及び同五四年七月一日から同五五年六月三〇日までの分)

なお、各文書については氏名の明示まで求めるものではない。

二、文書の所持者

Aの決算書 泉大津税務署長

Bの決算書 葛城税務署長

Cの決算書 東大阪税務署長

三、文書提出を求める根拠

民事訴訟法第三一二条第一項

四、右文書の提出を求める理由

被告は、原告の各年度の所得の推計の根拠として近畿車輌株式会社の下請業者三人を同業者として、それらの昭和五三年度から同五五年度の所得を援用している。

ところで、被告は、右推計の根拠として所得額等の数字を主張しているのであるが、それは全くの結論のみである。その数字の根拠となる具体的内容のみである。これではこの数字が真実それらの同業者によつて申告されたものであるのか、被告が創作したものであるのかの判別はとうてい困難である。

さらに、右各同業者の事業の具体的内容従業員数(とくに本件での最大の争点は従業員の給料であるからして、これは極めて重要である)等については、これらの業者を選定したとする西野証人の証言でも全く記憶していない、とのことでこれ又判然としない。

又、本件の原告は個人であるのに対して、被告の援用する同業者のうち、B・Cは法人である。西野証人は法人の場合でも個人の所得に引き直してある、と述べているのであるが、具体的に、役員報酬あるいは所得計算の期間(個人の場合は一月一日から一二月末日であるのに対して、これらの法人の場合はいずれも七月一日から翌年の六月末日である)等についてどのような引き直しをしたのか、被告第一準備書面の別表の数字は、引き直した後のものであるのか、そうであるとすれば、引き直す前の数字はどうであつたのか、はいずれも原告が提出を求めている決算書によつてはじめて明らかにされうるのである。

なお、被告は、別件等において右各文書等は被告が所持していないとか、等の答弁をする例が見受けられるのであるが、自らの主張の根拠として援用した文書について、右の如き主張をすることは、訴訟における信義則を全く蹂躪するものといわなければならない。

なお、原告としては、右各文書について強いて原本の提出を求めるものではない。その内容が判明すればよいのであるから、コピーでも十分と考える。

以上

原告の本件文書提出命令の申立に対して、被告は種々主張をしているので、その主なものについて、原告はつぎのとおり反論する。

一、原告がコピーによる提出を求めたことについて

原告は、本来的には、被告が推計課税の根拠として、使用した同業者の青色申告書そのものの提出を求めているのである。しかし、被告は青色申告書そのものを提出することは、当該納税者に関する守秘義務を侵すおそれがある、と主張しているところから、その守秘義務とのかね合いから、原告としては、当該納税者の住所氏名等が明らかでなくとも、その従業員数や、その他の経営規模を知ることによつて、被告のなした推計の合理性の有無の判断をなしうる、との観点から、強いて当該納税者の住所・氏名等が秘匿されていてもかまわない、という趣旨のもとに右申立をしているのである。

しかるに被告は、原告の右の趣旨を百も承知の上で、氏名を抹消した文書等現実には存在しないから出しようがない、などというのである。しかしながら考えてみるに、これほど人を馬鹿にした議論はない。かつて税務当局は(被告住吉税務署長に限らない)推計の根拠として、青色申告納税者の申告書を、その氏名と税理士名とをスミ塗りしていくらでも法廷に提出していた。そのことは、本件の被告の意見書においても自認しているところである。

被告は、このような文書は、現に存在しない文書を対象にするものであつて、新たに作成して提出することを求めることになるという。なるほど全く形式的にみれば、新たな文書ということにもなるのかもしれない。しかし、その実質は、納税者が作成した青色申告書の一部を削除したものにすぎず、新たな文書を作成したとはとうていなし難い。それとも、被告は、当該納税者の申告書の内容をも改ざんして、実質的にも新たな文書を作成して、それを証拠として提出していた、というのであろうか。

二、文書の所持者について

本件申立にかかる文書について、被告は、いずれも、本件訴訟となつていない他の税務署長が所持しているものであつて、被告住吉税務署長は所持せず、かつ、他の税務署長に対して引渡を求める権限を有しないから出せないという。

このような主張は、往時の三百代言ですら、顔を赤くせずしてはいえないことである。まして、国の機関がこのような主張をなすとは、とうていありうべきことではない。

本件において、住吉税務署長が被告となつたのは、同署長が、原告の所得申告に対して更正処分をした、そして住吉税務署長がその処分をしたのは、原告の住所地を管轄する税務署の署長であつたからである。これら税務署長は、国の機関として右の事務を遂行しているにすぎない。いわゆる事務分掌にすぎないのである。

本件訴訟においても、現実の訴訟の遂行は、大阪国税局の指示、指揮のもとに行われていることは乙第四号証ないし第六号証の書面をみれば明らかである。大阪国税局長において、これらの各税務署長に対して、各納税者の青色申告書の提出を求めれば足りることである。本件申立にかかる文書は、泉大津税務署長が私的に作成した文書などとは全く異なるのである。もし被告のいうとおりであれば、所持もしていない、そして引渡権限ももたない他の税務署の管内の納税者の青色申告書を根拠として、乙第四号証ないし第六号証のような文書がどうして作成しうるのか。きわめて不思議というほかない。

三、本件申立にかかる文書について

被告は、本件申立に係る文書は、本件訴訟においては引用していない。乙第四号証ないし第六号証は、本件文書を参照して作成したが、本件文書とは異なる別個の文書である、という。

この主張は、まさしく、サギをカラスという類のものである。乙第四号証ないし第六号証をみれば、それぞれが本件文書に基づいて作成されたものであることは、右各証書をみれば一目瞭然である。すなわち乙第四号証ないし第六号証が、それぞれ本件申立に係る各青色申告書が存在しなくてもなお作成可能であつたとすれば、被告の主張するように「別個独立」ということは当然ありうる。しかし、本件文書と乙第四号証ないし第六号証は、なるほど形の上では別個のものであつても、その実質は、前者なくしては後者はありえないものである。そうだとすれば、被告は本件文書の内容を本件訴訟において「引用」したと解釈しても、何ら不当にその異議を拡大したものとはとうていなし難い。被告の主張をおし進めれば、サギもカラスになつてしまう。

なお、被告は、公文書をスミ塗りして提出した事実について、そのもとの公文書は、引用文書に該らない、とした東京高裁の判例を引用して被告の主張の正当性を述べている。しかしながら、これこそまさにへ理屈である。もしこのようなへ理屈がまかり通るならば国民の裁判への信頼はまさに地を払うであろう。そして多くの訴訟当事者も、国にまねて、同じような訴訟の進め方をするようになるであろう。その行き着く先は司法の自壊以外の何物でもない。

四、守秘義務について

(一) 原告においても、被告の守秘義務を否定するものではない。だからこそ、本件申立においても、住吉納税者の住所・氏名までも明らかにする必要がない旨を申添えているのである。この原告の申立を歪曲しているのが被告の先の主張である。

(二) 被告はつぎに、青色申告書の、住所・氏名を秘匿して提出してもなお、更正処分を争う側に、青色申告の納税者が特定されてしまう例が多い。従つて青色申告書も提出できない、という。

本件更正処分は、これは国による国民に対する賦課課税処分である。申告した所得よりも、原告において、所得が多い、ということは賦課する側において証明しなければならない。理由も示さずに税をとる、などということは、江戸時代においてすらなかつた。況や、民主主義を国政運営の柱とする現代においては到底考えられないことである。

推計によつて更正処分をするについてもこれは当然のことである。すなわち税務当局は、推計の合理性を証明しなければならない。同業者によつて推計の合理性を担保しようとする場合は、まさに更正処分を受けた者と、その根拠となつた同業者との間のまさに同業者性-類似性-が証明されなければならない。その類似性は、その当該同業者が提出した青色申告書より、その一部の数字を抽出し-しかも正しく抽出したか否かの検証の方法もない-それを組合せたもののみで、足りる、というなどとは到底なしえない。なぜなら、これだけでは、当該処分を争う者においては、その類似性について争う手段を全く持ち合わせていないからである。これでは、すべて税務当局のいうことを信じろ、ということであり、「民ハ依ラシムベシ、知ラシムベカラズ」とした徳川封建時代と何らかわらない。被告がこのような推計方法をとる限り、守秘義務も一定の範囲において犠性にせざるをえないのであつて、もしそれが、どうしても不可であるというのであれば、被告としては他の推計方法を考察するしかないであろう。

(三) 被告は、本件においては原告の業種の特異性より、同業者もきわめて限定されざるをえなかつた。その上に本件文書を提出すれば、同業者の住所氏名の特定は避けられない、という。

しかしながら、本件においては、すでに被告が同業者について乙第四号証ないし第六号証の書証を提出した段階において原告はすでに同業者についてある程度の推測をつけることが出来ているのである。その意味では、被告が後生大事にしている申告者の匿名性はとうの昔に破れてしまつているのである。真実、被告が納税者のプライバシー等を大切に考えているのであれば、本件においてむしろこのような推計方法をとること自体誤つている。右の例をみても、被告は、守秘義務、守秘義務と大騒ぎしているのであるが、それは全くの方便にしか過ぎないと考えざるをえない。

このようにすでに匿名性がくずれている本件においてその青色申告書(氏名等を秘匿したもの)を、提出したとしても、被告の懸念するようなことは何ら生じない。

五、本件各文書について

本件各文書が、本件訴訟の被告の主張の基礎となつていることは、被告が乙第四号証ないし第六号証の各書証に基づいて、その主張を構成していることからも明らかである。従つて、訴訟において「引用」した文書であることも改めていうまでもない。

以上

原告は、文書提出命令申立書により、同申立書一項に記載の青色申告決算書及び法人の決算書の提出命令を申し立てているが、本件申立ては、以下に述べるとおり不適法であり、かつ理由がないから速やかに却下されるべきである。

一 本件申立ての適法性について

1 民訴法三一三条は文書提出の申立てにつき、同条一ないし五号所定事項を明らかにすることを要すると定めているところ、原告の本件申立ては、二号「文書ノ趣旨」、四号「証スヘキ事実」については全くその記載を欠いており、申立書全体を通読しても到底右各号を明らかにしたものとは解し得ない。

したがつて、本件申立ては適式なものではないから、不適法却下されるべきである。

2 なお、原告は、申立ての対象文書に関し、「氏名の明示まで求めるものではない。」「強いて原本の提出を求めるものではない。‥‥コピーでも十分と考える。」と主張しているところからすると、氏名を抹消した決算書の写の提出命令をも申立てているようにも解されるが、もしその趣旨を含むとすれば、右申立ては、現に存在しない文書を対象にするものである(現に存在しないことを自認して、それを新たに作成して提出することを求めるものであるから、もとよりこれを所持する者が存在するわけがなく、民訴法三一一条以下による文書提出命令制度が予定しない申立てであり、不適法却下を免れないというべきである。

二 本件申立てにかかる文書が、民訴法三一二条一号所定の文書に該当しないことについて

1 文書の所持

行政庁を被告とする訴訟において、行政官署に存する文書の提出命令が申し立てられた場合、文書の所持者とは、当該文書の保管の責に任じ、その閲覧の許否を決定する権限を有する行政庁をいうものと解すべきである。

これを本件についてみると、選定された同業者(泉大津税務署管内のA、葛城税務署管内のB、東大阪税務署管内のC)の当該年分の各決算書については、いずれも本件訴訟において当事者となつていない右各税務署長が保管の責に任じ、その閲覧の許否決定権限を有する文書であり、被告は、これらの文書あるいはその写を保管しておらず、またその閲覧の許否を決定する権限や他管内の税務署長に対し、右各決算書の引渡しを求める権限を有していないのであるから、被告は、右各文書の所持者にあたらないことは明らかである。

なお、原告は自ら引用した文書について所持していないと主張すること自体が信義則に反するかの如き主張をするが、引用文書であつても、前記のとおりの各権限がない以上、被告としては引用文書の提出が不可能であることは明らかであるばかりでなく、そもそも、民訴法三一二条一号自体が、引用文書を自ら所持しながら、任意提出に応じないのは不当であるとの公平の見地から、提出義務を規定したものであつて、自ら所持しない引用文書を提出しないことを信義則に反するといわれる筋合は全くない。

2 文書提出義務の原因について

(一) 民訴法三一二条一号が、当事者が引用した文書について、その当事者に提出義務を課している趣旨は、当該文書を所持する当事者においてその存在を主張し裁判所に自己の主張が真実であることの心証を一方的に形成される危険を避けるため、当該文書を相手方の批判にさらすのが公正であるという考慮に基づくものであると解される。そうすると、右の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、当事者の一方が、訴訟において立証それ自体のためにする場合だけに限られず、その主張を明確にするために、文書の存在について、具体的、自発的に言及し、かつ、その存在・内容を積極的に引用した場合における文書を指すものと解するべきである(大阪高裁昭和六〇年七月一日決定、神戸地裁同年四月一八日決定)。

(二) 原告は、本件申立書四項末尾において、本件文書を、「自らの主張の根拠として援用した文書」である旨主張する。

しかしながら、被告が、準備書面において、「青色申告書」という言葉を用いて主張している箇所は、被告第一準備書面四、1における選定基準の条件(一)の「青色申告書を提出していること。」の一箇所のみであり、右は、類似同業者を選出するための母体として、「確定申告をした者のうち青色申告をした者」、すなわち、「青色申告者」に限定するという意味で青色申告書という言葉を用いて一般的概括的に主張したものであり、それ以上に本件申立てにかかる青色申告書の存在について具体的、自発的に言及し、かつ、その存在・内容を積極的に引用したものとは到底いえない。

また、被告はその原告の所得金額を推計の基礎数値として主張した同業者率の立証として乙第四ないし第六号証の各一、二を提出したが、右各号証の二(同業者調査表)は本件文書を参照し、その内容の一部に基づいて作成されたものではあるが、文書として独立した意味内容を有し、形式上も本件文書とは別個独立のものである。このような場合において、なおかつ本件文書自体を訴訟において引用したものと解することは、「引用」の意義を不当に拡大するものであり、特に本件のような同業者率による推計課税事案においては、青色申告内容の一部による主張立証が不可欠であり、他方、決算書自体による主張・立証が守秘義務により許されないため、やむをえない選択として同業者調査表による主張立証が行われているという実情を無視し、同業者率による推計課税自体を著しく困難にするものである。

なお、裁判例においては、行政庁の訴訟担当者が、公文書の一部を黒塗りして写し作成した文書自体を書証として提出し、その記載内容に関する主張を行つた事案についてすら、右公文書(元の文書)は引用文書に当たらないとしているのである(東京高等裁判所昭和五九年三月二六日決定・訟務月報三〇巻八号一四一二ページ)。

二 職務上の秘密(守秘義務)による提出義務の免除について

1 守秘義務についての判断権

(一) 民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の証人義務、証言義務の免除を認めた規定が類推適用され、(東京高等裁判所昭和四四年一〇月五日決定・判例時報五七三号二〇ページ、名古屋地方裁判所同五一年一月三〇日決定・同八二二号四四ページ、浦和地方裁判所同五四年一一月六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ)、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである。

ところで、民訴法が公務員をその職務上の秘密につき尋問するに際しては行政庁の承認を要する(同法二七二条)とし、公務員の職務上の秘密であることを理由とした証言拒絶(同法二八一条一項一号)の場合にはその当否を裁判所が判断し得ない(同法二八三条一項)としたのは、何が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権が裁判所にはなく、その点の判断は行政庁に委ねられるとの趣旨であると解するべきであるところ(斉藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一ページ、五一ページ、井口牧郎「実務民事訴訟講座1・判決手続通論Ⅰ」三〇六ページほか)、右の理は守秘義務による文書提出義務の免除の場合についても同様に解すべきであり、このように解さなければ、人証か物証かの証拠方法の差異という一事をもつて公務員の職務上の秘密の保護に違いをもたらすという不合理な結果を招来するのである。このように解する以上は、何が守秘事項に当たり、守秘義務違反を避けるべき方法としていかなる方策を採るべきかの判断もすべて行政庁に委ねられていると解さなければならない。

(二) 仮に守秘事項に当たるか否かの判断権が裁判所にあると解されるとしても、守秘事項記載文書の提出について守秘義務違反を避けるためにいかなる方策をとるべきか、換言すれば、守秘義務違反が生ずるおそれなしに、その文書の記載内容をどこまで訴訟において公表しうるかについては、これを所持する行政庁の裁量的判断に委ねられていると解すべきである。

例えば、刑訴法四七条本文により公判開廷前には公にしてはならないとされている捜査書類等について同条ただし書は「公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は、この限りでない」と定めているところ、裁判例は、不起訴事件記録を保管所持する検察庁がその中の捜査書類の提出命令を申し立てられた事案において、「右の公開するか否かの相当性の判断は、被疑者その他捜査協力者及び刑事訴訟関係人らの名誉、プライバシーを保護し、また、刑事裁判開始前に、裁判に対して外部から不当な圧力の加えられることを防止し、刑事司法手続の独立公正を維持しようとする同条の立法趣旨に照らし、書類の内容を把握している当の保管者(本件においては起訴不起訴の権限を独占し、本件被疑事件を管掌する千葉地方検察庁)に委ねられている(また、当該保管者でなければ、当該書類の公開により、訴訟関係人らの名誉、プライバシーを害することになるか否か、刑事裁判に対する不当な圧力を生ずるおそれがあるか否か等を的確に判断し難い。)ものと解される」と判示しているが(東京高等裁判所昭和六〇年二月二一日決定・判例時報一一四九号一一九ページ、同旨・大阪地方裁判所昭和六〇年一月一四日決定・同裁判所昭和五八年(モ)第七九二三号事件判例集未登載)、右の判示は、守秘事項の一部の公表の相当性の判断権の帰属という点では共通性のある本件においても十分に参酌されるべきであつて、前記解釈の相当性を理由づけるものとなるのである。

2 青色申告決算書の提出と守秘義務

(一) 課税庁は、所得税賦課の必要上、納税者の所得金額算定の基礎資料の提出を受けているが、これら資料は納税者の営業上の秘密やプライバシーに関するものであるから、税務職員は、それを他の用途に用いることにより、納税者の営業上の秘密、プライバシーが侵害されることのないように細心の注意を払うべき義務(守秘義務)を負わされている。

(二) ところで、納税者の帳簿等の資料備付の不充分、税務調査非協力等により課税庁として所得金額を推計して更正、決定をするほかない場合があり、しかも、その推計方法として納税者と業種、業態等の類似するいわゆる同業者の売上原価率、所得率等(同業者率)によることが合理的であることが少なくない。このような場合に、右同業者率を把握、算定するには、納税者の事業地の近隣地域の同種事業者の中から営業規模その他の業態の類似する者を調査、発見してその同業者の所得金額計算の基礎数値に基でいて行うことが必要となるが、その資料としては、数値その他の資料としての正確性からしても、また調査の容易性からしても、通例は各税務署長が青色申告者から提出を受けて保管している青色申告決算書を用いることになるのであり、この意味で青色申告決算書は、課税庁が、推計課税を行なうに当たつての第一級の資料であり、多くの事案においては、これを利用することなく合理的に所得金額を推計することは、きわめて困難である。

(三) しかし、一方、右のようなやむをえない事情により、青色申告者の青色申告決算書を利用して同業者率を算定し、そのための基礎数値を公表することは、各申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害することにつながる危険性を包蔵するものであり、税務職員は、守秘義務遵守の立場からその利用に当たり、その危険性が現実化しないよう細心の注意をする職責があるが、その際の要諦は、同業者(青色申告者)の匿名性の確保である。すなわち、所得計算の基礎数値等の申告内容が公表されても、その申告者が誰であるかが特定されないかぎり、営業上の秘密やプライバシーの侵害は生じないのである。

(四) 被告を含む国税当局は、このような見地から、更正処分取消訴訟等の税務訴訟において、同業者率の正確性とその適用の正当性との立証として、申告者の氏名、住所その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写し(機械コピー)を書証として提出したことがあつたが、それは、右削除措置により同業者の匿名性は維持できるから、守秘義務に反することにはならないとの判断に基づくものであつた。しかし、青色申告決算書には、税務署長側が立証しようとする事項以外にも沢山な情報内容が記載されているため、例えば、従業員、専従者の年令、償却資産の内容等から、あるいは、申告書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、現に、具体的訴訟事件において原告側が、申告書写しに基づく調査で申告者を特定しえたと主張する事例が大阪国税局管内でも別表記載のとおり相当数にのぼり(もちろん、ここでは、右特定が客観的事実に符合しているか否かを問題にしているのではない。)しかも、その同業者と名指しされた者が、原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至つた。右のような事態は、申告者の住所、氏名等を削除してもその匿名性が維持できないことが少なくないこと、そして、課税庁が右のような形で青色申告決算書写を書証として提出することは守秘義務に違反するおそれがあることを示すものである。

(五) そこで、課税庁としては、右のような守秘義務違反になるおそれがなく、しかも、同業者率の正確性、その適用の正当性の立証として必要かつ充分な書証として、大阪国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定条件を充足する者、あるいは指名された者の決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を各税務署長が調査、報告した文書を提出するに至つたのである。

3 本件の場合

(一) 本件においても、被告は一定の選定基準を設定のうえで大阪国税局長が指名した青色申告者三名の売上金額、売上原価、一般経費等を当該同業者を所轄する税務署長が調査報告した文書を乙第四ないし第六号証の各二として提出したのである。そして、本件においては、原告が近畿車輌株式会社の構内における下請作業を営んでいることから、同業者の選定にあたつても同社の構内下請業者一六件の中から選定したのであつて、しかもその選定基準に適合する者として指定された者がわずか三名にすぎないことからみても、被告として申告者の匿名性の確保には特に細心の注意を払う必要がある場合なのである。

(二) したがつて、本件において青色申告決算書を提出することは、前記決算書提出の一般的問題の他に、右のような特殊事情も加わつて、仮に、申告者の氏名、住所等を削除したとしても、その申告者が特定されるおそれは極めて高く、このような場合において、この文書を提出することが、税務職員である被告に課された守秘義務に違反するものであることは明らかであり、被告は、民訴法二七二条、二八一条一項一号の趣旨を類推して、本件文書の提出義務を免れるものというべきである。

別表

原告が同業者であるとして証人申証してきた事件の状況

〈省略〉

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